【アメリカで過ごした少年時代】
<マサホ> 
北神けいろうさんの生い立ち、経歴からお聞きします。

<北神けいろう> 昭和42年(1967年)生まれ、46歳です。父親がアメリカで商売をすることになり、生まれて9か月でアメリカに渡り高校を卒業するまでロサンゼルスで育ちました。高校を卒業してアメリカに残るのが一般的なのですが、私は自分のルーツが大事だと思い親戚のいる京都に戻って来ました。大学は京都大学に通い左京で生活をしていました。
平成4年に大蔵省に入省し10年間仕事をしていました。税制の仕事や橋本・小渕総理の秘書官補として官邸で答弁書を作ったり、生命保険会社の破綻処理、岩手県農林水産部などの仕事をしました。
2003年に前原議員に誘われて京都に戻り政治家を目指し、初当選は2005年の衆議院総選挙です。2期務めさせていただきました。

<マサホ> 高校生まで過ごしたアメリカ時代を今振り返ってみるとどんな印象ですか。英語はペラペラですよね。

<北神けいろう>  基本的には楽しい思い出ですが、政治家の視点で振り返ってみると、アメリカには2つの相反する面があるように思います。一つは人種差別です。深刻な差別を受けたことはありませんが、言葉の端々に日本人に対する差別は感じたことがあります。例えばパールハーバーの日には学校の先生が生徒に「今日は何の日ですか?」と質問をするわけです。クラスに日本人は私1人でしたから、他の生徒の視線がこっちに集まり、肩身の狭い思いをしたこともありましたね。
その一方でアメリカの強さ、良さは、フェアな精神が強くあって「そんなことを言うのはおかしいじゃないか」という声をあげる人もいるわけです。何度か友達に救われた経験があって、今思い返すと両方印象に残っています。
昔の日本にもそういう精神はあったと思いますが、今の日本を見ていると、皆でいじめて誰もバランスをとらない。そんな気がしますね。英語はもちろんペラペラです。

<マサホ> アメリカのハイスクールではクラブには参加していたのですか。

<北神けいろう> バスケットボールとクロスカントリーをやっていました。日本では大体同じスポーツを1年中やりますが、アメリカは合理的でシーズンによって変わります。高校ぐらいまでですと、バスケットでも野球でも一流という人もいましたね。

<マサホ> 家での会話は日本語でしたか。

<北神けいろう> 親父の方針が家庭では日本語で喋りなさい、日本人としての自覚を失うな、というものでした。根無し草になってはいけないという思いが子供心ながらありました。たぶん親父も日本人としてアメリカ社会の中で仕事をする上で大変な思いをしていたのだと思います。兄弟とは英語でしたが。
 

【日本帰国と大学生時代】
<マサホ> 日本に帰ってくると決心したのはなぜですか。

<北神けいろう> 親父の教育を受けたこともあり、アメリカの友達と根本的な考え方や感覚が違うことも多々ありました。やはり自分は日本人であると、日本に戻って自分のルーツを確認したいという気持ちが強くありましたね。
実際日本に帰って来ると、親から聞いていた日本とは少し違いました。日本は道徳的でアメリカには無いものがあると思って来たわけですが、渋谷なんかで酔いつぶれて道端で寝ている人を見てびっくりしましたね(笑)。アメリカではありえません。まぁそれは日本が安全である証明かもしれません。
私が日本に帰ってきたのはバブル経済の頃でしたから、学生でも一流デザイナーの服を着て高級車に乗ってクリスマスには高級ホテルで食事をするような時代でした。アメリカでは一部のセレブの人以外はみんな奨学金をもらって勉強をしたり、働きながら勉強をするのが当然でしたから、親父の言っていた日本とはえらい違いだなと思いましたね(笑)。それから日本には立派な文化があるのに欧米の文化を追いかけて、京都を代表とする日本の文化というものを軽んじているなという印象がありました。

<マサホ> 京大を目指した経緯を教えてください。

<北神けいろう> これも今から考えると親父の影響ですね。親父に京都大学に対する思い入れがあったのだと思います。京都の町の魅力、京大の自由な校風などを子供の時から聞かされていました。それで京大が第一志望になったのだと思います。

<マサホ> 日本語で苦労はしませんでしたか。

<北神けいろう> 書くのも喋るのも苦労しました。小林秀雄さんの本を読んで勉強しました。但し、辛いということは無かったですね。

<マサホ> 次に大学時代の思い出は?

<北神けいろう> 吉田神社の境内で昼寝したり(笑)。これが私にとっては自由な感覚で、アメリカでは外で昼寝をする感覚はありませんから(笑)。まぁ日本にもないのかもしれませんが(笑)。京都の町は学生に対してそういうことを許してくれる雰囲気がありますよね。また、鴨川の川辺で歌ったり酒を飲んだり踊ったり。今から考えると懐かしいですね。バンドもやっていたので西部講堂の焼け跡のコンクリートの上でゲリラ的にバンド演奏なんかもしていました。その後「焼け跡ライブ」ということでみんながやるようになりまして。先駆けということで胸を張らしていただきたいと思います(笑)。

<マサホ> ぼくにとっても西部講堂はなつかしいところですよ!学生時代はどこから京大に通っていたんですか。それと、プロフィールに剣道三段とありますが、剣道はどこで稽古していたのですか。

<北神けいろう> 三回生のころまで親戚のいる西院から大学に通っていたのですが、同級生が南禅寺の光雲寺というお寺に下宿していまして「部屋が広いから北神来い」といわれたので私も下宿しました。もう亡くなってしまいましたが面白い和尚さんがいましたね。説教されたり座禅もくみました。
剣道は武徳殿で4年間稽古をつけてもらいました。先生方は戦前の大日本武道専門学校を卒業された方々で大変厳しかったのですがなんとか三段をいただきました。
 

【前原誠司議員との出会い】
<マサホ> 前原誠司議員との出会いを教えてもらえますか。

<北神けいろう> 私が大学四回生の頃、当時前原さんが府議会選挙の準備で街頭演説しているのを聞き面白いと思いまして、彼の事務所まで行き手伝わせて欲しいと申し出ました。何故前原さんがおもしろいと思ったかといえば、若くて我々とそんなに変わらないこと、府議会選挙なのに「世界の中の日本」という話を街頭演説でされていたこと、私も「世界の中の日本」という意識が強かったので、感銘を受けてお手伝いをさせてもらうことになりました。

<マサホ> 1991年のことやね。僕が2期目の時の市会議員選挙だったけれども、選挙活動をしていたからどこかですれ違っていただろうね。

<北神けいろう>あの時の選挙活動のお手伝いで、ビラの配り方など現場の訓練を受けました。

<マサホ> その当時から将来政治家になるという明確な目標はありましたか。

<北神けいろう>  興味はすごくありました。先程もお話ししましたが、日本のルーツを確認したいという気持ちのなかで、思い描いていた日本とか、あるべき姿の日本とはだいぶ違う方向に行っているのではないか。世界から見ても感覚がズレているのではないかという気がしていました。ですから自分が政治をやるというのは多少意識していたと思います。

<マサホ> 民間企業に就職が決まっていたと聞きましたが。

<北神けいろう> そうなんです。でも選挙活動のお手伝いで留年してしまいまして。就職できずに次の年に勉強をして大蔵省に入ったんです。正直に言いますとそんなに役人になりたいとは思っていませんでした。たまたま前原さんの選挙活動の手伝いをして留年して、様々な政治的な本を読んだなかで、志しの高い官僚もいるんだなと思い関心を持ちました。言い方は悪いですが「勉強をさせてもらおう」と思い大蔵省に入りました。入ってみると魅力のある人達が多かったです。つまらない役人のイメージとは違って、天下国家を真剣に考えている方も多く、一時期はこのまま役人でいた方が仕事ができるかなとも思いました。しかし政治家と一緒に仕事をするとやはり最後に決断、決定をするのは政治だなと思い、政治の世界に入りました。
政治家と役人の一番大きな違いは、政治家は日々の活動のなかで現場の感覚をよく知っているということです。役人は霞が関にこもってパソコンをたたいて統計を見て判断するしかありません。そこが大きく違うところです。

<マサホ> 衆議院選挙に出ようと思った最大のきっかけはなんですか。

<北神けいろう> 官僚の限界、政治家にならないと大枠は変えられないという思いが芽生えていた時に、前原さんから「政治に出ないか。命を預からせてもらえないか。」という言葉をいただき、大蔵省を辞めて民主党から京都4区(右京区、西京区、亀岡市、南丹市、京丹波町)で名乗りをあげました。
 

【プライベート】
<マサホ> 奥さんとの出会いなどプライベートなことも聞かせてください。

<北神けいろう> 彼女は大蔵省でバイトをしていたんです。それでお付き合いを始めて。最初のデートは勝海舟の墓参りでした(笑)。初デートで勝海舟の墓参りに付き合ってくれる女性はなかなかいませんよね(笑)。
そういうのにも付き合ってくれたのが結婚した大きな要因だと思います。

<マサホ> 奥さんは政治家になるなんて思ってなかったんじゃないの?

<北神けいろう> 彼女は初デートで勝海舟の墓参りを文句も言わずに喜んで来る柔軟な人なので大丈夫でした。ただし、当時大蔵省から政治に出る人は自民党からでした。なんで野党の民主党から出るのかと。それも京都4区で野中広務さんとたたかうということは、勝ちたいと思う人は避ける選挙区でした。でも私は右京に縁がありそこを選びましたから、彼女は「よく考えて」と言っていましたね。
 

【左京区民のみなさんへ】
<マサホ> 左京区のイメージを聞かせてください。そして最後に左京区民に一言お願いします。

<北神けいろう> 文化と自然が調和していて、自由で豊かなイメージです。やはり学生時代を過ごした左京ですから安らげる場所ですね。
京都4区で衆議院議員をつとめさせてもらっていましたが、今度の選挙は参議院です。今までお世話になった左京のみなさんに恩返しができる機会を与えていただいたと思っています。マサホ議員や前原議員と連携して、今度は学生時代の呑気な気分ではなく、みなさんの生活の実態や企業の実態を聞きながらお役に立つ仕事をしていきたいと思っています。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

 

【インタビューを終えて】 鈴木マサホ
北神さんとは、同じ京都の民主党でありながら選挙区が違うのであまり話したことはなかった。北神さんは、「ゴジラ」の愛称のように180pを超えて巨漢である。親子丼ときつねうどんとイナリ寿司を5個も食べる大食漢である。京大時代よく通っていたという銀閣寺のライブハウスや私設図書館や食堂「ハイライト」のこと、また西部講堂でロック演奏をしていたことなど、青春時代のエピソードも後日聞いて、よけい親近感がわいた。暑い時の選挙になるが、ガッツでがんばろう!
 

北神けいろう プロフィール
1967年生まれ、京大法学部卒。大蔵省を経て、衆議院議員(2期)。野田内閣において経済産業大臣政務官、内閣府大臣政務官、内閣総理大臣補佐官を歴任。中央大学大学院公共政策研究科客員教授を務めるなど教育分野にも携わる。2013年の第23回参議院選挙・京都府選挙区の民主党予定候補として公認決定。
家族:妻と娘。特技:剣道(三段)。


Copyright suzuki masaho&compage.  All Rights Reserved