【学生時代〜教育委員会での仕事】

マサホ議員 人と人との新たな繋がりを作り京都市や左京区の情報も発信していこうと始めた「京都左京ライフ」で今日は門川大作市長に経歴・京都市政や左京区政の課題や未来を語っていただき、更に人間、門川大作を浮かび上がらせたいと思っています。僕と市長も長いお付き合いになりましたね。

門川市長 私が係長になる前ですか、マサホ議員が市民派の市会議員として当選されて、その時に、人柄、実践力、笑顔を見ていて市役所が開かれていくことを実感しました。条例を作る、法律を作る、仕組みを作る、これも当然大事です。と同時に人と人との関係が一番大事だなと思った記憶がありますね。その後、マサホ議員によって市政は大きく開かれましたね。

マサホ議員 市長と僕は同世代で、僕が鴨沂高校3年の時に市長は堀川高校1年。僕は高校時代から大学時代にべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の活動をしていました。市長の学生時代の活動や教育委員会への就職までの話をしてもらえますか。

門川市長 私は堀川高校でべ平連の運動や、生徒会に没頭していました。一部の人は卒業式粉砕とかね。私は卒業式をボイコットして(笑)。後から担任の先生に何度も卒業証書を取りに来いと言われましたね(笑)。そんな時代でした。
当時は大学進学も浪人するのが当たり前の風潮でしたが、私は進学を断念し、市役所に合格しまして、何故か教育委員会に採用になりました。そこで頑張っている先輩や学校の先生との出会いがあり、やはり学ばなければいけないと思い、立命館大学の二部に行くことにしました。
夕方5時20分まで仕事をして、それから自転車で広小路の立命館まで通い、学校が終わってからまた役所に戻ってきて仕事する。そんな4年間でしたね。

マサホ議員 僕はべ平連や市民運動に参加しつつ喫茶店をやったりで大学卒業するまでに9年かかりました。当時は京都市政にも興味はなかったのですが、自分の生まれ育ったまちで何かをしなければいけないなと思い、最初に市会議員選挙に立候補したのが30歳の時でした。
門川大作という名前を初めて聞いたのは議員になる前で、僕は君が代訴訟の原告団でもあったし、合成洗剤を使わない学校給食、教育委員会の傍聴を求める市民運動などをしていました。そこに出てくるのが若い時の門川大作さんでした。市民運動のメンバーと、若い行政マンの門川さんがいろいろなやりとりをしていた印象が残ってますね。

門川市長 その当時は、市民運動の方々の要望を受ける窓口、労働組合・職員団体の交渉担当、マスコミの窓口、教育委員会の公聴会開催の担当者等幅広い仕事をしていました。教育委員会はトップダウンで仕事をしているように思われますが、内部的には非常に自由で、任されて仕事をしていました。
市民運動の方々とぶつかりながらも、接点が出てきて融合して成し遂げたこともありましたね。
例えば、現在京都市の学校給食では一切合成洗剤は使っていません。

マサホ議員 いろいろな事があったと思いますが、教育改革でこれはやりきったということがあれば教えてください。

門川市長 この間、高校の同級生に会いました。卒業アルバムの寄せ書きに君は何を書いたか覚えているか?と聞かれましてね。「明るくみんなが住みやすいまちに」こんなこと書いていたらしいのです。あんた40年間おんなじこと言っているなと言われましたよ(笑)。
生徒会の活動、べ平連の活動、さらには日本全体の政治を変えなあかんと、こんなことも若い時に思っていました。同時にみんなで議論していたのは、もっと市民が参加することにより日本の民主主義のレベルアップをしないといけないということでした。それが私の根底ですね。
だから教育改革の時に「主語のない教育改革」をしようと考えました。校長が学校をよくした、教育委員会が学校をよくしたとかではなしに、地域の人や親が参加して子供の教育を改善していく、改革していく、責任をもっていく、こんな仕組みづくり、コミュニティスクールを推進しようということでした。
今では全国トップ水準になっています。
例えば、子供の安心安全見守り隊に2万人が登録してくれました。犬の散歩は通学時間帯にしましょう、お買い物は通学時間帯に合わせましょうということで、みんなが少しずつ努力することによって子供をしっかり見守ろうという取組みができました。
親と地域が参加して子供の教育に関心を持ち、共に汗を流して改善の実感をしてもらえる。これは道半ばではあるけれど大きく前進したと思います。
 

【市長就任〜1期目を振り返って】

マサホ議員 なぜ市長になろうと思ったのですか?

門川市長 私にとっては青天の霹靂でしたね。教育長7年目で生涯、教育の仕事をしていくと思っていました。
民主党・自民党・公明党がそろって押せるのはあなただ、地域に根差した教育改革・学校改革を進めてきた、自信を持って市政改革をやったらいいではないかと言われまして。家族は反対していたのですが、そこまで言っていただけるなら生まれて育てていただいた京都の為に頑張ろうかと思いました。57歳の時ですね。5年前で薄氷の勝利でした。

マサホ議員 当選してあっという間の4年間だったと思います。現地現場主義とか門川マニフェストなど、1期目を振り返ってください。

門川市長 財政がどんどん厳しくなる、夕張ショックにより国の制度も変わる、4年後に財政再生団体になるのではないかという状況が市長就任後に出てきました。地下鉄のお先真っ暗なような状況や、リーマンショックなどもあり1期目はなんとしても見通しをつけなければいけないと思い取り組みました。
もう1つはどんな状況にあっても市民にお約束した124のマニフェストを可能な限りやろうということでした。職員の1割近い削減、全職員の給与カット等々、軋轢もたくさんありました。でも最終的には理解いただいて、お約束したマニフェストは9割を大きく超えて実行することができました。
正直言ってあの時よくあそこまでやりきれたなというのが本音です。
市役所の職員は優秀だなと思いましたね。議論して決めたらみんなで動けるなと思いました。職員は減らすし給与はカットする、そんな中でも議論を積み重ねた上で決めたことは実行してくれたと思っています。
それから徹底的に現場を歩いて、地域の強みを活かそうということで3200か所歩きました。歩き過ぎだと言われましたが(笑)。
でも、最近はいろいろな会議がありますが現場が全部わかるのです。これが1期目の4年間、朝から晩までお弁当を二つ持って現場をまわりたおした強みだと思っています。ただ、同じことをしていてはいけない。2期目はじっくりと人の話も聞きながら市役所の1万4千人の職員がより動いてくれる、同時に市民のみなさんがより主体的に市政にコミットしてもらえる仕組みやきっかけづくりをしていこうと思っています。
 

【左京についてのおもい】

マサホ議員 次に左京の話を少ししてもらいたいです。

門川市長 子供のころに私を大事にしてくれた叔父さん夫婦が左京にいましてよく行きました。知人もたくさんいて牛の乳搾りを見にいったりしましたね。詩仙堂などもよく行きましたし、ボーイスカウトに関わった関係で八瀬や花背などもよく行きました。
今でも土日にいろいろな行事で出かけますが、みやこめっせ、岡崎、京都会館、京都大学、国際会館など施設が多く、3分の1は左京区に行っているんじゃないでしょうか(笑)。

マサホ議員 岡崎の活性化、京都会館の整備、大学との連携など市長はどうお考えですか。

門川市長 基本計画を区民参加の下に作り上げてもらいました。その中で私がいいなと思うのが、「自然を愛で、歴史を学び、文化を楽しむ豊かな心」。まさにそのとおりだなと思います。面積でいえば左京区は大阪市より大きいですからね。京都はもとより関西の発展の役割を果たす左京区。
京都会館の再整備や動物園など岡崎を活性化していく。それからストックを活かすという意味で、琵琶湖疏水の世界遺産に向けた取り組み、南禅寺と永観堂などを世界遺産になどの取組みをしていきたいと思っています。
しかし、私が思うに左京区に象徴される京都の魅力は人なんです。「人財」がきちっと繋がって役割を果たして頂けるようなまちづくりを区役所と区民がつくっていける関係ができたら、ものすごい左京区になるなと思っています。
高城左京区長には「あなたは区長というよりも、左京担当市長のつもりでやってくれ」と言っています。左京区だけで一つの市になっても、全国はもとより世界に冠たる市ですね(笑)。これだけ魅力のある行政区は全国にもそうは無いなと思います。同時に北部の自然の良さを活かしながら活気が出るような新たな仕掛けもしたいなと思っています。


【プライベート】

マサホ議員 では最後にプライベートな話を聞かせてください。

牧野 善郎門川市長 家内とは職場結婚です。朝8時ごろにきて毎日掃除をしている人がいるんですよ。すごいなと思って、私も一緒に掃除をするようになったのが縁です(笑)。子供が4人いまして、イクメンのはしりだったように思います。女房は区役所に異動になりましたが仕事を続け、子供を保育園に預けて、子育てしながら一緒に働いていましたね。長男と三男に孫がいます。
プライベートで好きな時間は、友と盃を交わす。泡盛同好会の会長をしています(笑)。酒量は節制していますけどね。あとは「人間浴」という言葉を使っています。人間は自然からいろいろなエネルギーをいただく、元気をいただき、生かされている。同時に人間は人間同士のかかわりの中で元気をいただく。人といろんなことを語り合う、そこに美味しいお酒と肴があったら最高ですね。

マサホ議員 左京ライフをご覧になっている方に一言お願いします。

門川市長 私は京都の財産は人だと思っています。同時に人と人との繋がり。この人はこんな事を考えていたのかとか、こんなことをされていたのかとか、理解し行動につなげる。
今の世の中、見通しも暗い、厳しい条件もいっぱいある、こんなことが言われていますが、みんなで情報を共有する。夢・目標を共有する。危機感も共有しみんなで解決していく。そして行動を共有する。
「人財」がしっかりと結びついて、この京都のまちづくりをみんなでやっていきたいと思います。
わたしはこの「京都左京ライフ」が育って、左京から京都、日本を元気にする。そんな一翼を担ってくれることを期待しています。

 


Copyright suzuki masaho&compage.  All Rights Reserved